ディーベルト連邦陸軍で開発されたクライジェンシー・ティーガーは、開発時期の遅さから
試作機1機がシビーリ攻防戦にて参加したのみである。(機体はパイロットともに行方不明。)
その後、ディーベルト連邦は崩壊し、工場で生産さていた先行量産型も機密保持のために一機を残して
破棄、残った一機は開発元のヤルファルト重工の秘密研究所に運ばれた。
戦後、ヤルファルトは戦犯企業として名前が挙がり、機体や部品などの特許などの権利をすべて軍政府
に没収されてしまい、名声をはせたヤルファルトは地に落ちる。
だが、最後の希望として生き残ったティガーの再開発を決定。
少ない予算を使い、秘密裏にテストを続けた。
戦争終結から半年後、イオンブースターの改良、装甲の一部変更した量産タイプが完成。
それを再起の機会をうかがっていた旧ディーベルト連邦軍に正式採用の話を持ちかける。
それまでサーベルシュミットに頼っていた高速機動部隊をクライジェンシーに切り替えること
によって幅広い作戦が展開できると考えて正式採用となった。
だが資金うりに苦労する軍では、あまり生産がはかどらなかったが、軍がエウロペ同盟に吸収
された頃から大量に生産されている。
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